英語が上手いと言われちゃった (Apr)
成人病(Mar.)
将来の日本人口 (Feb)
2011年回顧 (Jan)
2007年 独り言
英語が上手いと言われちゃった
小生、英語は上手くない。まあ、英語圏を個人旅行するぐらいは何とかなるが、それも身振り手振りを交えながらの片言英語である。特にヒアリングが弱い。観光地でガイドの言っていることなどは殆どわからない。一生懸命に聴こうと努力するのがしんどい歳となった。それと苦手なのが、道を聞くこと。「あっちへ行って、どこそこの角を右に曲がって・・・・・・」。解るのはここいらぐらいまでだ。まあその辺まで行ったら、また聞けばいいさ。長くなると、日本語でも難しいもの。
この歳になると、単語もだいぶ忘れてきた。とっさに出てこなくなった。これも日本語と同じである。元々流暢になど喋れたことがなかったのに、この頃はひどいものである。 それが先日のアイルランド旅行中に、パブの女主人から「あんた、英語が上手だ」と言われた。そのときは他に客がいなくて、彼女も退屈していたのであろう。片言ながら、二人でお互いの身の上話やその土地のことなどを話し合い、ちょっとした冗談で笑い合ったのであった。
そういえば、十数年前ほど前にも、同じようなことを言われたことを思い出した。それは、ロンドンからフランクフルトへ向かう機内でのことである。隣に座っていたのが、なかなか風采の立派な老英国人である。出版関係の仕事をしていて、ハノーバーの見本市に行く途中とのこと。「おまえの読んでいる本は何だ?」「中国の古典詩集だ」そのとき、漢詩集を読んでいた。「私は現代詩の出版をやっている。日本の著名な現代詩人は誰だ?」これには困った。小生は現代詩などには全然興味がない。「谷川俊太郎、大岡信、むにゃむにゃ」「英国の現代文学に興味があるか?」「David
Lodgeが好きで、何冊か読んだ」これにはちょっと感心してくれたようだ。そのうち、Kazuo Ishiguroのことに話題が及んだ。彼は個人的に面識があるらしい。その数年前に「日の名残り」が映画化されていて、小生も原作(翻訳)と映画を見ていたものだから、いろいろ感想やらで話が弾んだ。最後に飛行機から降りるときに、「おまえは英語が上手だ」と言われた。
要するに、英語圏の人たちにとって流暢に英語を喋れるのは当たり前のことであって、それ自体は何の面白いことでもない。それよりも片言英語であっても、知的な会話や冗談などで楽しい時間が持てたことが大事なのだ。それで、小生の英語が上手だと言われたのだろう。
会話の勉強も大切だが、それ以上に幅広い教養を身につける努力が必要だ。海外で会話していて、当地のことは知らなくてもそれは許される。相手が喜んで教えてくれるだろう。しかし、日本のことを聞かれて答えられなかったら、これは相手にとって大変興ざめなことになる。
成人病
私はいくつかの企業の健康診断の結果をチェックする仕事をしているが、まあ、成人病、あるいはその予備群の多いこと。驚くほどの割合である。糖尿病、高血圧症などを自覚して治療を受けている人はよいとして、無自覚、あるいは自覚していながら放置している人が相当数いる。
その理由はほとんどの成人病に自覚症状がないこと、治療に多かれ少なかれ食事制限、運動など、生活上で摂生を要求されることである。これが苦手な人が多いのだろう。高尿酸血症で痛風発作を経験すると、これに懲りてしばらくは薬を飲んだり、食事に気をつけたりするが、これとて喉もと過ぎればなんとやらで、発作が起こらなくなると服薬を中断したり、美食を求めるようになる。
成人病が増えたのは、やはり世の中が豊かになり、低所得層といえども食事の質は別としても十分すぎるほどのカロリーを摂ることができる時代となったこと、それと、衛生状態、医療環境の進歩にともなって寿命が伸びたことが原因だろう。
そもそも、人類の進化における自然淘汰の条件には長生きということは入っていなかったのだろう。ヒトいう種が繁栄するには、まず子供を健全に成長させることが大事である。成長期には細胞がどんどん増加しているので、細胞核の成分であるプリン体や細胞膜を構成するコレステロール必須の栄養分である。そのため、これらは食事から十分にとれない場合の担保として体内で合成するように進化してきた。いま、これらの物質の半分以上は体内で合成されている。
また、成年期に肉体を駆使して活動するには、血圧や血糖値を高めに保つほうが有利だ。
ところが、老年期を迎え、成長が止まり活動が衰えると、そういったものが逆に作用するようになる。
動物が生殖能力を失ったり、体力的に群れの活動に貢献できないような年齢になったとき、それ以上に長生きしても種の繁栄にはほとんど貢献することはなかっただろう。従って、長生きは自然淘汰の条件とはならず、長命の遺伝子が選択的に蓄積されることはなかったのだろう。
したがって、年をとってもプリン体やコレステロールを若いときのように作り続け、血圧、血糖などが高いことにも悩まされることになった。長寿の時代を迎えた我々にとっては根本的な問題なのだろう。
将来の日本人口
先日のニュースよると、現在の出生率の減少傾向が続くと2060年の日本人口は現在の三分の二に減少し、そのうち65歳以上が40%を占めるようになるらしい。
小生の持論からすると、日本列島の適正人口は七千万人ぐらいがいいのではないかと思うので、それに近づいて行くのだろうが、こんなに急に減少すると大きな社会の歪みが起こるのは必至だろう。幸い、小生はその時代には生きていないので他人事ではあるのだが、孫たちがその時代をどのように生き抜くのかを考えるとちょっと胸が痛む。
もう右肩あがりの経済成長の神話などは捨て去り、どのようにして穏やかに縮小してゆくかを考えなければならないのではないだろうか。これから益々増加する老人層が発言力を増すことなく、若い世代を活力化させるようにしなければならぬ。年寄りは若年者を助けながら、まあ70歳ぐらいまでは働かねばならないだろうし、年金も贅沢は言えない。人々は物質的豊かさを求めてはいけない。価値観、幸福感を別の方向に求めねばならない。 ブータンでは国民の幸福度という指標を提唱している。これはちょっと胡散臭いところもあるが、そういうことも参考にしよう。昔、誰だったか「貧困の思想」という本を書いていたが、あの本の内容はともかく、そういう題でまた誰かが別の観点から書かなければならないのではないだろうか。
日本とは異なり、世界人口はこれから益々増え続けるようだ。しかし、地球上で人類だけが突出して繁栄するのが良いわけがない。アリのように小さい生物なら話は別だが、人間のような大きさの動物が70億も地球上にのさばって、他の生物を圧迫していては健全な地球環境とは言えない。いずれ資源が枯渇するのは眼に見えている。
まあ、そんな時代を目にすることなくいなくなる我々世代は幸せかもしれない。
2011年回顧
ひどかった2011年もようやく終わった。
数え年では私もちょうど70歳となった。満68歳というとまだまだという気もするが、七十というとグッと老けた感じがするではないか。昭和18年生まれで、農村育ちの私には戦争の悲惨な記憶はないので、国内の大惨事に遭遇するのは阪神大震災と今回の地震ぐらいである。ただ、阪神大震災の時は知人や知人の家族が何人か犠牲になったが、今回は遠く離れた地方なので犠牲者の中に知った人はいなかった。しかし、2万人近い犠牲者のご遺族の痛恨の思いは察するに余りある。次に東南海地震であるが、何時か必ず起こるのであろうが、どうか私の生存中ではないように願うばかりである。
さて、個人的な事情としては、1911年は比較的平穏無事であった。まあ、よく遊んだ方だろう。アウトドアの遊びはHPを見ていただくと判るが、それ以外というと、まず漢詩であるが、これはあまり作れなかった。一つは詩想が涸れてきたというか、詠みたいと思うことが少なくなったことと、詩句を辞書で調べる根気がなくなったことである。今年は頑張らねばと思っている。
もう一つの趣味・書道の方は仕事の関係で書道教室に通えなくなった。秀島踏波先生の優れた指導によって大分自信が付いたのだが。それで現在は渡部大語先生の通信教授だけとなった。こちらは2年間、懐素の千字文を臨書しほぼ半分を終えたが、少々厭きてきて、今年から米芾の行書を習うことになった。米芾も奇行の多い人物のようであるが、書は素晴らしく私の大好きな書家の一人である。
今年のアウトドア活動は、体力的にあと数年で大したことは出来なくなるだろうと思うと、聊か焦ってくる。幾つか計画しているがこれはまたホームページにアップしてゆきます。