028 困った日本人英語発音


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なぜ日本人はそんなに英会話が苦手なんでしょうか。最大の元凶は、日本の国語(ローマ字)教育、英語教育です。

原因を要約すれば
方針の定まらない、遅れた国語教育五十音図の教え方不備、 ローマ字教育の混乱、 カタカナ外来語の乱用、誤用) と遅れた英語教育(リスニング、スピーキング軽視)にあると思います。

英語教育では、日本語と英語の発音を正しく比較して教えられる教師が少ないのが問題です。
それがどうして問題なのか、このシリーズ内で説明します。

別に日本語の発音を全く知らなくても、英語の発音を教えることが出来るのは当然です。
しかし、せっかくの日本人教師なら、発音ということを初めて学ぶ子ども達に、日本語と比べてどう違うか、 口の形、舌、唇の位置、動き、喉の状態、息の出し方、止め方などを具体的に比べながら教えた方が、どんなに効果的かは言うまでもありません。
たとえ、これまで大学で日本語の発音と比較しながら英語を習って来なかった教師でも、日本人ならきちんとした説明を受けさえすれば理解できるでしょう。

連続テレビ小説の「さくら」で、昼食に招かれた一郎お父さんが生徒に「発音は気にしなくてもいいよ、必要なのはハート」といっていましたが、 確かに自分の考え、気持ちを相手に的確に伝えることこそ最も大切であり、ネイティブでないのだから発音の良し悪しは大した問題でないでしょう。

でも、発音の違いが分からなくては正確に聞き取れませんし、発音を間違えると違う意味にとられることもあります。
特に日本人はしゃべることと同じくらい聞くこと(リスニング)が苦手です。
いくつかの国の特徴ある英語に接してみて、日本人の英語も他国と違う特徴があるなあ、しかも困った特徴だなと感じていましたので、身の程もわきまえず、急に書いてみることにしました。

なぜ日本人はそんなに英会話が苦手なんでしょうか。
その背景などを考えてみました。

日本人が学習能力、教育程度は一流なのに、英会話の能力で各国の後塵を拝するのは、

 1. ある程度人口の多い先進国ゆえに、自国語の教科書、書籍が充実していて、高校までは、外国語教育以外は自国語だけで用が足りている
 (後進国や小さい国では、中学、高校で国語以外、特に理数などは英語の教科書を採用することが多い --- ただし、日本語で教育すること自体は、悪いことではない)

 2. 教育制度を策定した当時は、欧米に追いつけ追い越せの時代で、外国の知識、技術を書籍から取り入れることが急務であったので、英語教育も読解力に重点が置かれたという流れが今に残っている。

 3. 島国で、外国人と接する機会が最近までは少なかったので、必要に迫られて異国語をしゃべる機会があまりなかった。
 ( 海外旅行も単なる物見遊山でなく、文化交流のチャンスとして活用したい。
 英語がゲルマン系言語(ドイツ語など)を基盤に大量のフランス語が入り込んだものであるように、ヨーロッパ言語は親戚同士であり、しかも互いに隣接していて、日常的に外国語と接している。
 アジア、アフリカの多くの国はヨーロッパ諸国の植民地になり、ヨーロッパの言葉を押しつけられた経験があるが、日本はそんな経験がない。
 戦後、占領下で英語の影響を多く受けたが、すでに先進国だったゆえ、植民地のように、言語が変更されるほどの大きな影響はなかった)


 4. 日本語は子音と母音が合体した音を一つの文字(かな、カナ)で表わし、子音だけを表記、発音する習慣がなかったのと、母音の数が5つしかなく、多くの母音を区別する能力を持っていないため、スピーキング、リスニングの上達に困難が伴う(子音も非常に少ない)
 (それなのに国語教育は時代遅れで、世界の中の日本語という視点を持っていない。たとえば、表音文字であるべきローマ字の教え方も発音無視である。発音を考慮したつもりでも、外国ではっきり区別しているのを、一緒にしている)
 
 5. その日本語の特質を考えに入れずに英語教育のカリキュラムが組まれているから、時間数の割には空回りが多く、特に会話が苦手となっている。 ---  悪い教育をすればするほど、それが固定化され、後で修正するのに苦労する)。

時代遅れの国語教育(ローマ字教育)見直しが、現在2003年になっても中学側教諭から提案されねばならない状態)

などの要因が複合して影響していると考えられます。

 (2006.02.06)追記 ここでは入れる必要がないと思っていましたが、日本人が英会話で留意すべき点として、

   6. 言葉の順序(語順)が全く違うこと。英語を学び、日本語との長所、短所を比較してみて、英語の方が優れていると思うのは、主語のすぐ後に動詞が来ることです(中国語も主語のすぐ後に動詞が来る語順は英語に似ています)。

 私が日常実感していることですが、日本語で長い会話文をしゃべられると、それが肯定文か否定文か最後まで決まらないので落ち着きません。最後に否定が入ると、聞いた順番に頭の中に格納している内容を一斉に裏返し、整理し直す必要があります(文書では、後から読み返せますから、それほど記憶に気を遣いません)。
 日本語の会話でも、冒頭に短い文でまず結論を述べて、「なぜなら」「つまり」などで説明することで、同様のことが出来ます。または、短文をうまくつなぐことでもできます。
 英会話ではなおさら、短文で言いにくい場合には、例えば it 文で決めておいて、続いて that, which, who, because, ... で詳細を述べるなどに慣れるべきでしょう。日本語を英語に翻訳するときにも、日本語に引きずられて分かりにくい英文にならないよう、自戒すべきだと思っています。

 その上、安直に外国語を取り入れるためのカタカナ表記が普及しましたので、とりあえず翻訳するなどの目的には非常に貢献しましたが、間違った、あるいは不正確な発音が身についてしまいました。



まず小学校の五十音図では、例えばサ行でシだけが別の発音ですが、違いを教えずに
 サシスセソ
と教える。先生自身も同じように教わってきたので、違いを意識していない人も多いのではないでしょうか。そうでないとこれだけ多くの日本人が区別出来ないはずがありません。私もシ音の違いなど、小、中学で習わなかったような気がします。
サ行以外にも不整合はいくつもあります。
小学校低学年だから、五十音図の教え方は仕方ないとして、


次に、4年生でローマ字を教える時、まず
 sa, si, su, se, so
と訓令式を教え、つぎに
 sa, shi, su, se, so
とヘボン式も教えて混乱させます。

ローマ字は何のために教えるのでしょうか。外国との関連を考えないなら、教える必要がありません。
(注:読者の方から、「日本語ローマ字化論というのは、日本語にあわない不合理な漢字を排除して、やまとことばの日本語を守ろうという日本語防衛論的発想です」とご指摘がありました。それだけなら、ローマ字を道連れにせずに、かな、カナを使った方が分かりやすいと思うのですが。試みに短文の比較をしてみました
特に日本語発音と少し違った音になる”ローマZI”を見ていると気持ちが悪く一層ストレスがたまります。
ここで示した「短文の比較」にて、煎茶をsentyaと書けばセンテャ、いつもをitumoではイトゥモになりそうです。それで良いんだというなら、本当のテャとチャ、トゥとツをどう区別するのでしょうか。
どうもローマ字を論じている人たち、学者達の中に、諸外国語の発音はおろか、日本語発音すら正しく認識していない人が多く紛れ込んでいるのではないかと疑います)
アルファベットはもともと表音文字ですが、英語の場合は長い歴史の間で発音が変化し、綴りと大きく食い違う部分ができました。日本語以上に不整合があります。
同様に平安時代に決められた五十音図(かな表記)は現代日本語と発音の食い違いが生じていますが、歴史的経緯もあり、変える必要は全くありません。
しかし現在、日本語のアルファベット表記を新たに決めるにあたっては、平安時代の発音に準拠する必要はなく、現代日本語に準拠すべきです。

ローマ字を
1.発音をあらわすものと考えるか
この場合、違う子音を同じアルファベットで表さないこと(サ行、タ行、ハ行、ザ行、ダ行、ジャ行など)。
満足に近いものは、英語的表記法になってしまうものの、ヘボン式しかありません。
2.発音にかかわらず、五十音図に対応させるか
この場合、日本語の習慣的発音の”ゆれ”は、日本語の”くせ”として、そのまま受け入れる。つまり
『基本的には音にしたがいながらも、最終的には「カナ文字でどうかかれているか」にもとづく』
の2つの方法です。

2.に該当するものは『日本ローマ字会の「99式」日本語のローマ字表記 』です。 この場合は当然、外国語を学ぼうとする日本の子どもには特に、五十音図の中の発音の揺らぎを正確に教える必要があります。
上記1.に決めると今のような問題は起こらないのですが。
2.に決まっても日本語の音を正確に教えるという条件付きなら許容できます。

ヘボン式に反対するローマ字論者は、ヨーロッパ各国で綴りに対する読みが異なるので、ヘボン式の英語流は他国人には正しく理解できないというのですが、英独仏伊の各国語を使うときは、各国別々の発音をするのは当然で、迷ったり、問題を感じたりしません。

ヘボン式なら、逆にはっきり「日本のローマ字は母音以外は英語的発音綴りを採用し、母音はアイウエオという風にイタリア式採用」というように、主体は英語式準拠であることを表明するだけで、余分な説明は不要となります。
事実上世界標準となった英語を全く知らない外国人にとってのみ、英語式と言っても理解できないというだけです。

政府は何十年経っても、未だに中途半端で、日本式(と訓令式)とヘボン式の間で揺れています。

4年生になって理解力が出来てきた時点で、中途半端なローマ字の教え方は害あるのみです。
もしヘボン式を教えるのが難しいという教師が多いのなら、ローマ字教育を5年や6年に遅らせても、いい加減な教え方をするよりはましです。

現に、五十音図の矛盾についてベトナム少女にくらべ日本の子供たちがどれだけ日本語の発音に鈍感であるかを例示しました。
むしろ、このローマ字を教える時を絶好のチャンスと考え、日本語において五十音図が時代を経て矛盾ができてきたことを学習させ、母音、子音という概念を正しく理解させるべきではありませんか。

それが、英語に限らず、あらゆる外国語の学習に必ず役立つのです
今は欠陥教育のため、多くの日本人は日本語の発音すら正確に理解していないのが現実です。すなわち日本語を正しく発音は出来ますが、多くの人は、どう発音しているか説明が出来ません。また子音の違いを認識していません。


カタカナ外来語
しゃべるのは考えてからゆっくりということも出来ますが、聴くのは、特にニュースやドラマでは、待ってくれません。
自分が区別していない発音を瞬時に聞き分けようとしても、ほとんど無理でしょう。

例として、たいていの現代日本人はV音を発音出来ると思います。せっかく発音できるのに、昔の習慣でバ行[b]の字を使っているため、人々にV音という意識がないだけと思われます。
もしヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォという表記を正しく使うよう教育し、新聞でも徹底すれば、日本人は簡単に習慣づけられるのではないでしょうか。そして英語での間違いも減るのではないでしょうか。

直ちに発音できない人がいても良いのです。表記をまず正しく徹底すれば、間違って頭に入るのが防げます。
今の教育では間違った発音を身につける人をどんどん育てて行くことになります。

 清音 P F
 濁音 B V
(日本人は清音のパ行[p]とファ行[f]はカナできちんと区別しているのに、その濁音のバ行[b]とヴァ行[v]は、書き分けをずぼらしてバ行[b]で済ますことが多いのです。  【バージョン、クリスマスイラエティ、イス、カバーケーション、クトル ...例をあげると、きりがありません】)

韓国人がコーヒーを「カフィー」と言わずに「コピー」と言えば、[p]と[f]を区別している日本人としては変だと思うでしょう。
試みに韓国式発音として、引き続きファ行(f)の発音をパ行(p)で置き換えてみましょう(韓国、北朝鮮で全てそう発音しているかどうかは知りません)。
【スタッックス番号、ルーツ、ント、ポーカス、レンド、ミコン ...変だと思いませんか】
 (日本式では スタッフ、ファックス番号、フルーツ、フォント、フォーカス、フレンド、ファミコン)
これを変と思う日本人が、濁音では[b]と[v]を区別しないでも平気なのです。他を笑っている場合ではありません。同程度の誤りです。

可能なものからでもカナ表記を改良すればいいと思います。しかし、ここではこれ以上述べないでおきましょう。


中学での英語教育も(ここは終戦直後の自分の経験からの推測です)、まずアルファベットを教え、次にI am a boy. とかIt is a book. と簡単な文、それから文法、単語の暗記と英文学の読解(とってつけたように、たまに時事英語)と続き、声を出して読ませはするが、カタカナ英語でも訂正しない。
一応、筆記試験ではアクセントとか発音にも重点を置いているふりをする(といっても dateとcatのaは同じ発音かどうかなどのクイズで、発音が正しいかどうかとは無関係)。
(但し、テープレコーダすら無かった頃と違って設備、装置が格段に充実した現在、相当改善されているはず)
そして高校では読解力に主眼を置いた(しかし浮世離れした難しい)受験のための英語に突入してしまう。
英語教育に重点を置くのは、共通語としてのコミュニケーション道具であり、また政治、経済、技術の文書の読み書きが出来る様にするためです。
英語の授業は英文学の授業ではありません。

中学校でまず始めに正しい発音を教えるべきです。自信がないからと言って、いきなりテープなどで英米人の英語を聞かせるだけでは、時間の割に効果は少ないことは多くの人が経験済みでしょう。
日本語のこの音は唇と舌をこうして発音するが、英語は唇をうんと突き出して、舌はこうして発音するなどと具体的に比較して教えた上で練習させたのち、はじめてネイティブの発音を十分聞かせるのです。

日本の英語教育で育った教員は、日本語と英語の発音を正しく比較して教えられる教師がきわめて少ないと思われます。多分自分で考えず、英米人の発音学丸写しの英語教育だったからでしょう。
英語圏のネイティブでなく日本人である長所を生かせるような教員養成をすべきです。
日本人の間違いやすい表現、日本人の出来にくい発音を重点的に教えられるようにです。
現状では書店で発音関係の書籍を探しても、欧米人学者の書いた英語発音の本から丸写ししたような(従って日本語との比較がない)本がほとんどということからも裏付けられます。

推測で申し訳ありませんが、テレビなどでかいま見る、カタカナ英語で海外体験する若者の姿などからも、やはり全般的英語教育は進歩していないなという印象を持ちます。
(4月にイラクのティクリート制圧のニュースで、NHKの女性アナウンサーがチクリートと言ったので、あれ、Ti じゃなかった? と思ったら、一瞬遅れて「ティクリート」と字幕が出ました。
読んだ原稿がまさか「チクリート」ではなかったと思います。しゃべるのが本職であるNHKアナウンサーでもその程度のレベルで、日本の現状は困ったものです。NHKの新入社員教育でも、定番の早口言葉の練習より、まずカタカナをより正しく書き、発音する練習から始めるべきではないでしょうか)
(2005年4月)にも「ティクリート」のことをNHK女子アナが「チクリート」と発音していました。いつまでも直りません。
せめてアナウンサーなら、「ティ」とはっきり書いてあるものを「チ」と読まないでほしい(チーム、チケットは原稿にそう書いてあるだろうから仕方ないが。 −→ 最近「ティーム」と発音するアナウンサーはかなり増えました)。

だからといって、幼稚園、小学校低学年から英語教育を始めるのもどうかと思われます。それはきわめて安直な発想です。
すばらしい英語環境が整えられて、しかもそれを(幼稚園だけでなく)高学年まで継続できるのなら反対ではありませんが、カタカナ英語程度なら百害あって一利なしです。

我々が悩んでいるのは、キャット、ドッグ、グッドモーニングなどのカタカナ英語が言えないからではないのです。
逆にそれらが身に付いてしまったから、うっかりすると間違えてしまうのが困るのです。
さらにカタカナ英語でも平気な人がいるのがもっと困りものなのです。


ここでいろいろ書いていることは、日本人全般の英語能力不足、学校の先生の教育能力不足などを嘲笑したりするのが目的ではありません。我々は欠陥教育カリキュラムの被害者であり、責任は、政治家、旧文部省役人たちの認識不足、無為無策にあると思います。

大事なことは、次世代のために、障害を1つでも取り除くことです。 文部科学省さん、各担当間や外務省とのなわばりにとらわれず、高い見地から根本的な見直しをお願い致します。



(2004.06.02)追記
文部科学大臣の指示により小学校における英語の必修化の検討がはじまっているということです。
もし英語の早期教育がまともに実現できれば非常にうれしいのですが、検討する人の人選を誤れば、再びピントはずれの答申が出ないか心配です。
いい加減なカタカナ英語を教えるのなら、やらないほうがマシです。一生の害になるからです。

そもそも現在の小学校の先生の中から、効果的に英語を教えることの出来る先生がどれぐらい確保できるかというのが問題です。
(日本語の発音すら、ただ無意識に発音できるだけで、どう発音しているか自覚もなく、たとえば外国人に正しく日本語発音を説明も出来ない人が多いのでは?)

小中高大の語学教育の不備は、私たちの世代はさておいて、今の若い世代でもさっぱり改善されていないようです。それは、テレビ、ラジオでアナウンサーの発音を聞いていても分かります。
アナウンサーって一応かなりの競争率で選抜されているんじゃないでしょうか。少なくとも発音に関しては、日本語、英語の若い世代の平均水準以下ではないと思います。

先月、NHKの教育放送ですばらしい英語の先生(
比田中学校の田尻悟郎先生)を紹介していましたが、逆に言えばそんな先生は少ないと言うことではないでしょうか。
私もこのシリーズで触れていますが、子供に英語を教えるには、大学で単に英語を学んだというのでは不足で、許せる程度に正しい発音であることはもちろんのこと、ジェスチャーを交えたり、一緒に遊ぶ、歌うなど、どのように児童に興味を持続させるかを習得した先生が必要です。
(日本人はジェスチャーが少ない傾向がありますので。また、必ずしも歌えるのが必須ではありません。画で示したり、ビデオやパソコン、道具などを効果的に使用できたりすればよいと思います)

まずそのような先生を養成出来なかった大学の教育改革が必要で、そのためには教育大学の教授から入れ替えて行かねば、なんて言うと、早くて数十年は掛かってしまいます。手っ取り早くやるには、小学校の教員採用時に正しく選別すれば、それにつれて徐々に教育も是正されて行くのではないでしょうか。
他方、可能性を秘めた人、つまり英語が流ちょうではないが教え方が上手な人や、教員資格がなくても立派な英語を話せる人などが世の中に増えてきました。そのような人を積極的に採用し、再教育により立派な先生に育てるのも良いと思います。


目にとまった、例えばこのような先生をと思えるサイトを2つだけ上げさせていただきます。
 ◆げんきイングリッシュとは (GenkiEnglish!!)
   小学校英語のすべて!
    小学校英語の”シナイデ!”のお願い!
   (GenkiEnglishの左側フレームで「フォニックス」をクリック、 moonの三日月の絵を
    クリックすると「ムー」と発音されます。 「ムー」ではない! 私の関連ページ)

 ◆通じる英語を話そう! 発音の大切さ



困った日本人英語発音

 →
1.五十音図の不整合

 →2.ローマ字教育の混乱

 →3.カタカナ外来語の乱用

 →4.英語教育への不満



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