部落問題でつながることの意味を改めて考える

今年度はそれぞれの部落問題学習の取り組みを出しあっていますが、12月13日、2回目の全体会ではセンター保育所と児童館から、部落問題やセンター(解放会館)と自分との出会いについて、また、具体的な取り組みについて報告がありました。それを聞きながら思ったことを少し書いてみます。

部落差別の現れ方は時代とともに、また状況や場面によって変わりますが、人と人との関係をひきさき、排除や忌避を生むとともに、苦しみや悲しみ、癒しがたい傷をもたらします。しかし、こうした部落差別のありようは、「それっておかしい!」「そんなことは許されない!」という、心ある人たちの疑問や怒りを呼び起こすことを私たちは知っています。その意味では、部落差別は確かに深刻な問題としてあり続けていますが、その現実と向き合い、変えていこうとする人を生み出し、つながりや連帯を促進することも事実です。

また、人間は生まれながらに差別する能力を持っているとともに、差別をなくす能力も持っていると言われますが、さまざまな取り組みによって、後者を伸ばしていく、育てていくことができれば、差別を封じ込めることができるはずです。幸い、この校区(地域)には、先人が築いてきた歴史と伝統があり、それは大きな根となって校区にはりめぐらされています。それはかけがえのない財産であり、私たちは常にそこからエネルギーを得ているし、孤立はしていないことを実感することができます。

「保育教」でやっていることはささやかなことではありますが、部落問題を共通項として集い合うことができるという、この事実自体に格別の意味があります。もちろん、まだまだ課題はあり、手放しの評価はできません。しかし、地域の根の手入れを怠らずに、差別に怒り、抗い、許さない人たちとつながり、その輪を広げていくことができれば、悲観的になる必要はないと思います。飾らず、誠実に報告する人の緊張感が会場の空気を張りつめたものにし、発する声が五感をそばだてる参加者に染み入り、静かな中に熱いものが交錯するのを感じて、この間に蓄積してきたものが、間違いのないものであったことの証を見たような気がしました。(by ささき)