麻のはなし
六 麻沸散(まふつさん)
NARCOTICS(ナルコティクス)を麻酔と訳し、麻薬・麻痺・麻疹など、五体の痺れを示す表現にすべて麻の字がつくのは、大昔、中国の人がこれらの麻酔は麻(大麻)からもたらされると考えたからです。
「後漢書」の「華陀(かだ)伝」には、西域の胡人・華陀が「麻沸散」という大麻から作った麻酔薬を、酒と一緒に病人に飲ませ、麻酔状態になったところで腹と背を切開し、胃腸にあった患部を摘出し縫合し、一か月で快癒させたとあります。この薬は麻(大麻)から作られたので麻沸散といい、以後、ナルコティクスに関する言葉にはすべて「麻」の字がつくとしています。
こうして、漢字圏では麻酔には「麻」をつけて呼ぶのですが、この圏内で実際に大麻から麻酔薬を作ったという記録はありません。述べたように、中国で栽培していた大麻には麻酔性が少なく、中国もシルクロードで西域とつながっていたわりには不思議なほど麻薬には無知でした。
この華陀という人はペルシャの医者で、インド大麻の麻酔性をよく知っていたのです。ペルシャの麻酔を中国でやって見せたのですが、こういう知識になると、中国人は経験をもった胡人(ペルシャ人)にはとてもかなわず、怪しい幻術と見なしていたようです。 麻酔薬は胡人が操る幻覚を招く怪しい薬で、これを大麻から作るというので「麻」をつけて呼んだのですが、実際に身の回りに蒔いて、繊維をとっていた大麻を危険な草と思っていた様子はありません。
このことは麻酔性の少ない大麻を栽培していた日本でもおなじです。奈良時代、玄ムが貴人の鬱病やノーローゼを幻術で治したというのは、麻沸散のような麻薬を使ったのだろうと推理されています。それはおそらく遣唐使が持ち帰ったものでしょう。中国を経由して入ってきたペルシャ文化のなかには麻酔薬もあったようです。
前章で、ゾロアスター教(拝火教)が大麻を礼拝に使っていたことを述べましたが、わが国の古代にもゾロアスター教が入っていたという説があります。わが国では仏教が盛んになるのですが、道教やゾロアスター教の影響があったことは事実です。飛鳥の石の遺跡や、お水取りの韃靼(だったん)などはそれを示しています。奈良の都へ胡人が来ていたことも確かです。麻沸散があったことは十分に考えられます。
しかし、幸いなことにこういう麻薬は広まらず、近世まで、わが国は麻薬の悪習に染まらぬ純朴な国でした。麻酔薬を取り締ったことはなく、大麻はおもに種子が利尿剤・便秘剤・淋病などに使われた程度でした。
「麻の種子80粒を摺り、水に掻き混ぜて渣(かす)をとり、その汁で粳米二合粥を煮て食うべし」という草木薬の記録があります。麻薬を思わせるものには「麻の種四升を水六升にいれ、猛火で煮ると芽がでてくる、滓をのぞき初芽を二升とる、空腹のときこれを飲むと 言葉がみだれたり、痺れがくる」という記録がありますが、こんな方法で麻薬が作れるはずはなく、わが国で栽培していた大麻からは麻薬は作れなかったのです。

花の匂う