プロパガンダ―寿司屋でのスタンダードな贅沢について

私にとって、寿司は必ずしも贅沢な食べ物ではない。
物心ついた頃から、定休日である日曜の朝にはいつも寿司があった。
前日の残りのネタやシャリで作られた家庭用の寿司であった。

こういう話をすると、よく人から羨ましがられる。
もっとも、生魚が嫌いでなくて本当によかったとは思う。
しかし、一般に多くの人が「寿司」と聞いただけで感じる(らしい)、「豪勢な」感覚を私は失ってしまっている。
私にとって、寿司は極めてスタンダードな食べ物であった。

やがて家を出て独りで暮らすようになり、あの日曜の朝の「また寿司か…」というあの感じすら懐かしくなってきた。
しかし、「金を払ってまで」寿司を食いに行くような気にはまだならない。

先日帰省したおり、久々に鮨八のカウンターに腰掛け、「お好み」で親父に寿司を握ってもらった。
恐らくはいろいろな工夫がなされているのだろうが、他で寿司を食った経験の乏しい私には、何の変哲もない、いわゆる「寿司」に見える。
味も然り。奇を衒うようなところは全く無い。
だが、寿司本来の「贅沢な」味がする。
美味しい、というと手前味噌になってしまうのが残念だ。
私は好きだ。

鮨八には、時々電波に乗る「寿司屋名店」のような特徴は無い。
シャリを釜で炊くわけでも無いし、自分で釣った魚をネタにするでも無い、
生け簀があるわけでも無い、びっくり仰天するようなネタも無い、
とびっきりの高級感も無い、予約がいつも一杯というわけでも無い、
有名人が多く訪れるわけでも無い、日本一の細工寿司も無い、
「時価」の品書きも無い、 信じられないほど安いわけでも無い、
威勢のいい若くていなせな板前も、「おまかせ」でないと機嫌の悪い大将もいない。
 
ただ確かな味の寿司を丁寧に握る大将と、それを運ぶおかみさんがいるだけである。

20人ほどで一杯になるこざっぱりとした店内は、柔らかい色の照明で満たされている。
店の奥にある小さなテレビは、大抵野球の放送がかかっている。
座敷には、店に立ち寄った芸能人と写った写真がサインと一緒に貼ってある。
トイレには、相田みつをのカレンダーがかかっている。

少なくとも私にとって鮨八は、そういう店です。
もしあなたが、試しに私の言うスタンダードな贅沢というものを味わいたくなったら、
あるいは単純に、肩に力の入らない寛いだ雰囲気で、回っていない寿司が食べたくなったら、
ぜひ一度、鮨八の暖簾をくぐってみてください。
きっとご満足いただけるはずです。


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